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「月子様。本日は病院にご足労頂けないでしょうか」
唐突に瀬野がそう言った。
いや、彼はいつものように朝食を準備して月子が食べ終わるのを見計らって声をかけたのだから唐突じゃないのかもしれない。
ただ月子にしてみれば唐突だった。
「・・・・・・病院」
「はい」
何の、なんて言う必要はない。
きっと無意味だ、と月子は思った
・・・・・・大っ嫌い。こんな色の目。
(診察したって治らないもん)
小学校入学の時、病院へ連れていかれて「病気は進行していませんね。大丈夫ですよ」と言われた。月子は愕然としたのを今でも覚えている。
だって赤い瞳は昨日も一昨日もその前もずっと変わらない。
一体、何が大丈夫なのか。
「月子様」
瀬野の言葉に少しだけ頭をもたげる。
医療は日々進歩しております。その台詞すら白々しく聞こえた。
「・・・・・・はい」
他に何て言えば良いんだろう。拒否権なんて、無いのだ。
今更、何も変わらない。
「行きます。病院」
この人もそうして諦めてくれれば良い。
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血液検査のおかげでふらふらする身体を引きずって月子はソファに沈み込んだ。
「月子様。お食事は如何しましょうか」
「・・・・・・いらない、です。お風呂入るから」
声に出すのも億劫だ。
本当だったらもう眠りたかった。しかし、身体に染みついた病院独特の匂いを何とかしなければいけない。
湯船に浸かってお行儀悪く髪を水面に浮かべる。そこでようやく「ほぅ」と息を吐いた。
時々思うのだ。お風呂に入って一生懸命身体を洗ったら、ごしごしと力いっぱい頭を洗ったら、もしかしてみんなと同じ色になるんじゃないか、って。
健康的な肌の色に、艶やかな黒髪に。
・・・・・・もちろん、そんなこと一度だって無かったけど。

お風呂から上がるとテーブルにサンドイッチが置いてあった。
「出過ぎた真似かと思いますが少しでも胃に入れられた方が良いと思います」
確かにお腹はサンドイッチが食べたいよう、と言っている様だった。
あんな態度をとった自分に、少しだけ反省する。
もそもそとサンドイッチを手に取りながら「あ、ありがとうございます」と言うと瀬野は一度瞬きをした後深々と頭を下げた。
「こちらこそ、もったいないお言葉です」
相変わらず、フランスパンみたいな人だなぁ。とこっそり月子は思った。
そういえば、今日は蜜夜に会ってない。
歯磨きをしながらドアを眺めていても開かない。
あの部屋に篭って色々しているんだろう。少しだけ寂しくも感じたが、もし例えばここでおやすみの挨拶に行っても不思議そうな顔をされるだろう 。
それが容易に想像できるので月子は素直に一人で寝室に向かった。
寝室にはベッドが2つある。
しかし月子が知る限りベッドは1つしか使われていない。蜜夜がこの部屋で寝ている姿を見たことは無かった。
もしかして昼間寝て夜起きてるのかしら?世の中にはそんな生活をしている人がいるという。
(だったら良いなぁ)
月子も太陽が出てる時に眠って夜になったら学校に行く。そうしたいけど残念なことに学校は朝からだ。
今日の今日とて洗いたてのシーツに包まれて月子は夢の中に落ちていった。

うとうとしていたのに不意に意識が上昇した。
視界は眠る前と変わらない暗闇・・・
「?」
暗闇が揺らいだ。
違う。暗闇だと思っていたのは顔がくっ付くくらい近くにいた蜜夜の顔だった。
ギョッとしたがまだ身体は半分眠っていて上手く動かない。
「・・・・・・なぁに?」
寝起き特有の掠れた声で呟くと蜜夜はただ一言呟いた。
「ルナ」
「うん・・・・・・?」
「・・・・・・」
何故、そこで止まる。
「どうしたの?」
「・・・・・・」
何も言わない。
月子は落ちてくる瞼を必死で押し留めた。
何も言わないで見つめてくる理由って何だろう?
元々口数が少ない人だけど大抵尋ねたら答えてくれるのに・・・・・・
「具合悪いの?」
布団の中でぬくぬくになった手を蜜夜の額に当てる。前にお姉ちゃんがしていた仕草だ。
気持ちが良いのか蜜夜は目を閉じている。
「・・・・・・熱はないね」
と、言うのが精一杯で実は熱があるかどうかなんてわかんない。
「ごめん・・・・・・眠い・・・・・・」
今、布団のぬくぬくに勝てるものはない。
「蜜夜君も・・・・・・早く寝た、ら」
蜜夜が何て返事をしたのか、そもそも返事をしたのかすら覚えていない。
ただ布団に戻した手が動かしにくいなぁ、なんてぼんやりと思った。

「なぎゃっ!」
月子が吠えた。
「朝からよく声が出るね」
「な、な・・・・・・」
「7?」
「違うっ!なんで蜜夜君が一緒に寝てるの!」
御蔭で眠気が吹っ飛んだ。いつもなら二度寝がしたいなぁとまどろむのだけどそれどころじゃない。
「誘ったのはルナだ」
「うそぉ!」
動揺して思わず手元にあったクッションを蜜夜の顔に投げつけてしまった。
「・・・・・・何」
「だ、だって」
八つ当たりというよりとばっちりを受けた蜜夜は少し不機嫌そうに起き上がった。悲鳴とクッション攻撃に寝ることを諦めたらしい。
少しだけ罪悪感がこみ上げてきた。
何故なら蜜夜は多忙な生活をしていると思われるので寝る時間が少ない、はずだ。
そんな蜜夜がまだ眠いというならゆっくり眠ってもらうべきなのに
「食事は?」
「・・・・・・食べる」
「どうしたの?」
「ごめん」
謝ってどうにかなる訳じゃないけど怒らないことに月子が居た堪れなくなった。
「仕方ない。ルナは覚えていないから驚いた」
その通りです。
「嫌だった?」
「 嫌・・・・・・とか考える暇なかったよ」
とにかく吃驚したのだ。寝ぐせがついている前髪を右手で撫でつけて左手でクッションを拾い上げる。蜜夜はそんな月子の行動をしばらく眺めていたが先に寝室を出て行った。
誰かと一緒に眠るなんていつ以来だろう?もう思いだせない。
『ひだまりのうた』だったら暑くなってきたこの季節に他人とくっついて眠るなんて絶対に出来なかったけど空調が万全な空間だとくっついて寝ても大丈夫なんだな、と月子は一つ賢くなった。
月子は忘れていた。蜜夜は月子が嫌がることは決して無理強いしないが嫌だと言わなければそれは良いとほぼ同義になるのだと。