第四章「愛に飢えた子供達」


スーツの人に「月子様のお荷物はこちらにございますのでご確認下さい」と言われた時はすっとんきょんな声を上げてしまった。
「どうしてここに私の荷物があるの?」
「運んだから」
「何で?」
「台車で」
「そうじゃなくて・・・・・・ううん、何で蜜夜君がいるの?」
「何か変?」
「・・・・・・」
噛み合ってるようで噛み合わない会話をしているような気がする。
どうも欲しい答えが返って来なくて月子は頭を抱えた。
「あのね、迎えに来たって、私の事、迎えに来たって言われたんだけど・・・・・・えぇっと」
「迎えに行ったのはセノだよ」
「うん。・・・・・・うん?セノ。ううん、そうじゃなくてね」
漆黒の瞳ははぐらかそうとしてる訳じゃない。
だけど何か違う。
月子が首を傾げても蜜夜は瞬き一つするくらいで表情は変わらない。
「私の荷物は何に使うの?」
「無いと困らない?」
困らない。かたつむりじゃないので全ての荷物を持って移動する習慣はない。
「憚りながら申し上げてもよろしいでしょうか」
ずっと部屋の隅で黙って話しを聞いていたスーツの人改めセノがそっと静かに口を開いた。
ハバカリ、の意味が分からず月子は黙っていたが蜜夜は僅かに頷いた。
「月子様。今回お越しいただきましたのは『ご招待』ではございません」
「え?」
「当方は月子様をお迎えにあがったのです」
「・・・・・・はぁ」
この人の言う事は難しすぎて違いが分からない。
しかし次の言葉を聞いた瞬間、月子の頭は真っ白になった。
「養子縁組を致しました」
養子縁組。
その言葉はさすがの月子でも知っていた。
いくら自分に縁のない言葉だと思っていても養護施設で生活をしていると時々耳にすることがあった。
「・・・・・・だれが」
「私です」
とセノが言う。更に「今回の養子縁組は普通養子縁組と言いまして」と続けているがちっとも月子の耳には入って来なかった。
普通養子、特別養子、里親、それは家族が出来るということ。
施設以外に世界ができるということ。
「どうして」
「何か不都合がございますか?」
不都合、そういう問題じゃない。
月子とセノは今日を含めて会うのは3度目。正真正銘赤の他人である。
養子縁組というのは気まぐれでするような事ではない。
「月子様をお迎えするためにこのような手続きをとらせていただきました」
「・・・・・・え?」
迎えるために養子縁組をした?養子縁組をしたから迎えに来た、ではなく?
「それってどういう意味ですか?」
言葉を逆さまにすると全然違う。何かのために養子縁組をした、何かへ迎えるために。
「児童養護施設ひだまりのうたを出て僕の傍に居ること」
静かに告げる声は決して大きくはない。しかし、よく通る声だった。
「そういう意味」
無表情で蜜夜は会話の主導権を乗っ取った。
乗っ取った。正にその言葉がピッタリだった。
「戸籍上は養父・セノで特別養子縁組のように実子にはならない。だけど法律上の親子関係は形成される。
君が8歳未満だったら特別養子縁組をしたかったけどこればかりはどうしようもない。
里親制度の利用よりも格上で特別養子縁組よりも格下の措置と思ってもらえれば良い。戸籍操作や偽造はリスクが大きいから出来る限り手を出したくない。
以上のことを考慮した結果、君も僕もまだ未成年だから今は婚約という形で君が十六歳になったら婚姻届を出して」
「ちょっと待った!」
乗っ取られた会話を慌ててぶった切った。
あまりに口調が変わらず、まるで書類を読み上げるように淀みない台詞だったのでつい、うっかり聞き流しそうだった。
「な、なんかへん!」
「何が?」
「婚約って聞こえた!」
「そうだね」
「そうだねって・・・・・・」
言葉が続かない。というか開いた口が塞がらなかった。
「何も変わらないよ。戸籍以外は」
いやいや変わるだろ!月子は自分の反応は常識的だと信じている。何故、蜜夜は不思議そうな顔をするのかが分からなかった。
「婚約って結婚するってことだよね?」
「そう」
「む、むりっ」
「・・・・・・何故?」
ここにきて初めて蜜夜の声が変わった。とにかく不機嫌そうだった。
「何故ってなに?聞かれる意味がわかんない!結婚って何?なんで私蜜夜君と結婚するって決まってるの?全然分かんない!
セノさんが私と蜜夜君を結婚させるために・・・・・・養子縁組したならいらない。私『ひだまりのうた』に帰るっ」
養子縁組、という言葉を聞いた時ほんとうに驚いたけど・・・・・・少しだけ嬉しかった。
『ひだまりのうた』じゃない場所へ帰るんだって。
だけど養子縁組のために、よく分からない事のために私の未来全てを差しだすってことは無理。何も持っていない私が、一つだけ持ってる未来を全部、あげるなんて。絶対無理!
「じゃあ婚姻については先々考えてくれれば良い」
「は?」
「問題はそれだけ?だったら解決だ」
「・・・・・・」
「どの部屋も自由に使ってくれて構わない。後ろの扉が寝室。右がバスルームとパウダールーム。僕は大抵奥にいる。入用があればセノが準備してくれる」
いつの間にか、いつもの無表情に戻った蜜夜が指で場所を示しながら説明をしていく。淡々と。
「ルナ、何か質問はある?」
「・・・・・・」
月子は尋ねた。恐る恐る。
「・・・・・・ルナって、もしかして私のこと?」
「そう」
「なんで?」
「僕がそう呼びたいから」
横暴とマイペースの違いって何だろう。・・・・・・分からなかった。
「セノ」
「承知いたしました」
なにを?
月子が目を丸くしている間に蜜夜は部屋の奥へと行ってしまい、その場には月子とセノだけが残された。状況が把握できていないのは月子一人、らしい。
セノは「まずはお掛けになって下さい」と月子にソファを勧めた。
沈んでしまいそうなほどふかふかのソファにいつもなら大興奮するが今日の月子にはそんな心の余裕は無い。
「突然の事で驚かれたでしょう」
「はい」
即答である。さらに力いっぱい頷いてみせた。
これで驚かない人間がいたら見てみたい。と顔に書いてある。
「月子様には出来る限り不自由ない生活をしていただけるよう、努力いたします。どうかここでの生活を受け入れて頂けないでしょうか」
真摯な態度で言われると今度は返事に困る。知らない人を信頼するというのはとっても難しいから。
「セノさんは蜜夜君の言う事なら何でも聞くんですか?」
我ながら棘のある言葉だなと思ったけど一度口から出たものは引っ込められない。
「蜜夜様は無理難題を押し付けたり致しません。確かに今回の事は驚かされましたが・・・・・・」
やっぱりありえないこと、なのだと月子はぼんやりと理解した。
決して自分の反応は変じゃなかったのだと。
「私、蜜夜君の事もセノさんの事もよく知らないです」
「はい。お会いするのは3度目ですからね」
「それなのに私のこと引き取ったんですか?」
「はい」
「私に、蜜夜君の傍に居てもらうためだけに?」
「はい」
「・・・・・・なんでぇ?」
他に何を聞けばいいのか。今日はもう驚きすぎて頭もオーバーヒートしている。
「あの場所にいたかった?」
「ぎゃあっ!」
耳元で囁かれた声に飛び上がった。
急いで振り返ると蜜夜が後ろに立っていた。
「蜜夜様、どうされましたか?」
「水を取りに来ただけ」
そう言って冷蔵庫から1本のミネラルウォーターを取り出す。
(お、おぉそんなところに冷蔵庫が・・・・・・)
「さっきの質問」
「さっき?」
「ルナは『児童養護施設ひだまりのうた』に残って立花カズユキと一緒に居たかった?」
ドクンと心臓が奇妙な音を立てた。
記憶は音から始まる。
(ん、あっあぁ)
涙混じりで小さな悲鳴。
(大丈夫だよ。大丈夫)
熱の籠ったくぐもった声。ねっとりと絡みつくような声はゾッとするくらい甘くて・・・・・・。
「ルナ」
いつの間にか視界がぼやけていた。痛いくらい耳に押し付けていた両手を抑え込まれ睫毛がぶつかる程の距離に蜜夜の顔があった。初めて会ったあの日よりもまだ近い距離。その後ろからセノも心配そうな顔をしている。
「立花カズユキは信頼できる?」
「なんで・・・・・・」
消えない記憶。消せない記憶。どうしてあの日、目を覚ましてしまったんだろう。どうして喉が渇いたと起きだしてしまったんだろう。
みんなが寝静まった真夜中はとても静かで自分の足音しかしなかった。
ぺたり、ぺたり、と台所に向かう途中。まるで内緒話をするような小さな声が聞こえたのだ。
ふらりと好奇心のままその声がする方へ進む。なかなか大きくならない声に少しイライラして、だけどばれないように忍び足で。声はお遊戯部屋から聞こえた。
薄く開いたドアからじっと目を凝らすけど、最初はよく分からなかった。
ただ泣き声が聞こえてびっくりした。
(やめっ・・・・・・て、くださっ)
(心配いらないんだよ。これは仲のいい親子の儀式なんだから)
(そんなっ・・・・・・やぁっ)
まるで獣だ。逃がさないように圧し掛かったりその下でもがいたり。
裸で四つん這いの姿は、まるで獣の様だった。
(やめてっ・・・・・・!)
獣の咆哮に、我に返った月子は走って部屋に戻った。
足が壊れるんじゃないかというくらい全速力で。そのまま布団を頭まで被って涙と震えを殺しながら朝を迎えた。

「立花カズユキは以前児童虐待で管轄の都道府県から指導を受けてる」
「えっ」
「これは一種の病気だから指導を受けたくらいじゃ治らなかったんだろう。もみ消してるけど虐待は一度や二度じゃない」
瞬きをすると目頭に溜まっていた涙がぽろり、頬を伝って落ちた。
「対象者は天涯孤独の身の上で親権の代行をしている者。ルナのように」
何の感情を含んでいるのか分からない漆黒の瞳が見つめている。
叫びたいのか、泣き崩れたいのか、月子は自分のことも分からなくなった。
「なんで・・・・・・」
なんで、知ってるの。
獣の一匹は立花先生だった。
そしてもう一匹は天涯孤児の中学生だった。
『児童養護施設ひだまりのうた』は30人近い子供が一緒に生活しているがその殆どが親はいるが一緒に暮らせないというもので天涯孤児は月子とそのお姉ちゃんの二人だけ。
次の日から先生の目を見ることも触ることも出来なくなった。
怖かった。5つ上のお姉ちゃんがいなくなったら次は自分なのだ、と。
先生が熱心に自分に構ってくるのは知っていた。でもそれは親がいないという境遇に同情してくれているのだと思っていた。
次は自分なのだ、と。
「なんで・・・・・・」
「さっきから質問の意図が見えない」
「なんで蜜夜君はそんなこと知ってるの?」
「調べたから」
「立花先生が・・・・・・ヘンな先生って調べたから私のこと助けてくれるの?」
「立花カズユキがどんな人間でも僕はルナを助けるよ」
「なに、それ?」
「出来る限りのことをする、ということ」
ぶつかりそうなくらい至近距離で見つめあっているのに蜜夜は眉一つ動かさない。ただ漆黒の瞳は吸い込まれそうなほど綺麗だった。
月子が身じろぐと蜜夜は手を離して、また部屋の奥へといなくなった。
頬に残った手の温度が寂しいような嬉しいような気持にさせる。
一滴、涙が頬を伝い落ちた。
「月子様」
「はい・・・・」
「月子様が不審に思うのも無理ありませんが、少しだけ私と蜜夜様を信じて、蜜夜様の傍にいませんか?」
まだ少しぼやけた視界にセノの顔が見えた。
「だっ・・・・・・」
言葉としゃくりが一緒に出てきた。しゃくりを堪えると今度はぼろぼろと壊れた蛇口のように涙が溢れてきた。
怖かったこと、安心したこと、嬉しかったことに驚いたこと沢山の感情がまるで化学反応のように爆発して。
(だって先生だったの)
(お父さんもお母さんもいないけど先生は私の家族だったの)
悲しい、という感情もコントロール出来ずに暴れ出す。
気がつけば小さな子供のように声を上げて泣いていた。


(好きだったの)