「いってきます」
挨拶をしても返事はない。写真の中の私は幼くてお父さんは照れたように笑っている。これはお母さんがシャッターを押してくれた一枚で3人で写っているものが無かったのだ
その横には私とお母さん、そしてローの3人の写真。嫌がるローを私が無理矢理掴んでいる。うん、こっちは覚えてる。これを撮ってくれたのはローのお母さん。もう随分会ってない
2枚の唯一の写真は私の宝物だ
ナミ達と撮った文化祭の写真もシャチやペンギンと撮った夏祭りの写真は全部なくなってしまったから
いっしょうけんめい隠した傷痕
「お疲れ様でしたー」
そろそろバイトを変えよう。元々働いていた人が一時的に休みをとったとかで緊急で入っただけのものだ。その子復帰が近いからモゴモゴ・・・なんて語尾を濁していた店長には悪いがクビにして下さって結構だ。
給与さえ払って下されば
残念なのはコビー君のような良い同僚は滅多に出会えない。そこは少しだけ寂しいけど私は新しい執着心を持てない。そういう人間なのだ。
(今日はちゃんとご飯食べよう)
不意にペンギンに言われた言葉が頭を過ぎった。何ならローやシャチも呼んでお鍋なんかしても良い。
あぁ、考えたら楽しみになってきた。
新しいものに執着できないけど手放せないものはある。
今日の今日は無理でも近いうちに・・・
(良いよね。楽しみを持っても)
ほんの少しくらい・・・
薄暗くなった帰り道。だから寂しくなってみんなに会いたくなったんだ。
カン、カン、カン・・・階段を上る音が響く
鍵は・・・鞄の中を手探りで
「よぉ、」
世界が止まった気がした
もし、もし階段を上る時にもっと注意していれば。そんなことは後の祭なのだけれども。
暗がりの中、笑みを作った口元だけがやたら浮かび上がって見えた
そして血の気が一気に引いた。
「・・・どうして」
他に何が言えただろう
頭に血が回ってないからか「どうして、どうして」と馬鹿みたいに繰り返していた
どうして
「相変わらず綺麗な顔なのに・・・なんだっけ。あぁ憂いを帯びた?不幸ですって顔をして・・・男が寄ってくるだろ」
靴が、足が、その持ち主が近づいてくる
それだけで身体が震える
なんで、どうして
「さっきからソレばっかりだなぁ。家族が会うのに理由がいるのか?」
「家族じゃないっ!」
無造作に伸びた髪、無精髭にくたびれた洋服。どうして
「はっ。お前がおれの姪であることは事実だろ」
「・・・っ」
そうだ。どうしたってその事実は消えない。
この男はにとって正真正銘の叔父なのだ
「・・・帰って、下さい」
母が死ぬまでその存在を知ることもなかった。なのに葬儀の最中ふらりと現れた。
「あー?叔父さんが久しぶりに会いに来てやったのに何だよその態度。せめて茶の一杯くらい持て成せよ」
早く開けろよ。と靴がの部屋のドアを蹴った。
その音と振動に肩が跳ねる。
顔に、声に、その目に服従しそうになるのを懸命に堪える。
全ては、全てが恐怖だった。
「帰って・・・!お願い・・・っ!!」
「なぁ。金貸してくれよ」
ドロリ、とした不気味な程甘い声だった
「その顔でこんなボロいアパートに住んでんだ。相当溜め込んでるクチだろ?とりあえず100万。都合つけてくれよ」
頭の中は警報が鳴り響いている。
「100万なんて・・・大金持ってない・・・」
「おいおい」
「ほ、本当に・・・っ」
必死で言葉を紡ぐ。足に力が入らず咄嗟に手摺りに掴まる。
「じゃあ稼げよ」
まるで今日は良い天気だと言うように
「は」
女は良いよな。ちょっと脱げはすぐ金になるんだから・・・。ベラベラと喋り出したが殆ど耳に残らない。
示さないといけないのは明確な拒絶なのに
「い、嫌!」
次の瞬間背中と頭を壁にぶつけ息が止まった
遅れて痛みが走る
「っごほ」
「ただ兄貴の子供だからってだけで家に置いてやってたんだぜ?なのに感謝の一つも出来ないのかよ」
「っそれは弁護士の人を通し」
次は身体ごと横倒しになった。
「・・・うるせぇんだよ」
鉄の味がする。どこか切ったんだ。
「孤児を引き取ってやったのにどいつもこいつも人のことを犯罪者みたいに扱いやがって。」
痛みよりも恐怖が上回った。歯が噛み合わず今度こそ涙が溢れた
「誰のせいだよ。なぁ」
腹部に鈍い痛み。蹴られた。
「お前だろ」
きっと顔を上げれば冷たい目で見ているに違いない
太陽が沈んで寒くなってきたが涙と血が伝う部分だけが温かい
そして腕を持ち上げられた。まるで人形のようにされるまま無理矢理起こされる
今私はとても酷い顔をしているだろう。
「なぁ」
息をしようとすると血で噎せた
痛い、怖い
甘い声で毒の言葉を吐く
「また犯してやろうか」
・・・私はどうして生きてるんだろう
不意に視界を遮ったのはうさぎのぬいぐるみだった
恐らくうさぎ。
目であるはずのボタンが片方取れかかってて足から綿が飛び出してるうさぎ。
うさぎはおんぼろなシルクハットを振り回しこう言った。
『さぁ!ナイトメアの始まりだよ!!』
シルクハットから吹き上がった紙吹雪が視界をまた遮る。
『場所はとあるマンションの一室。中には不幸な少女が一人。どうぞいらっしゃいませ!』
うさぎは私に言ったのではない。何故なら私は既に部屋の中にいる
ドカドカと荒々しい足音と共に部屋に入ってきたのは葬儀場の業者の人でも参列者でもなかった。
「・・・お前がか」
『ファーストコンタクトで、ござぁいます!』
うさぎが跳ね回る。あまりに激しく動くから綿が更に飛び出してる
座り込んで俯いていた少女がゆっくりと顔を上げた
「・・・誰ですか?」
私は知ってる。この少女も部屋に入ってきた人物も
これは高校3年の時の私だ。ここはかつて私と母が住んでいた部屋。そして最後の日。叔父が、来た日。
うさぎが笑う。口を示した糸がブチブチと音を立ててちぎれた
『さぁ、さぁナイトメアは始まったばかぁり!』
全くだ
うさぎがハサミを取り出して空を切り始めた
また場面が変わる
今度は広い部屋の割にどこか陰欝で薄暗い。
少女、昔の私は虚ろなまま突っ立っていた
持っているボストンバッグは修学旅行で使ったやつだ。今も重宝してる
確か必要な物、最低限にしろ。そんな事を言われた気がする。
数日分の着替えや財布、学校に持っていく細々した物。携帯に咄嗟に持ち出した写真が2枚。
この時はまさか持って行かなかった物全てが処分されるなんて思ってもいなかった。
全て捨てられた。それか売られていた。
とにかく少女の、私の手元には何も還って来なかった。
これは葬儀が終わってすぐの頃。まだ初七日は済んでいない。
持ってきていた携帯は解約させられた
「誰が代金払うんだよ」
一言だった
確かに私はバイトもしてなかったし家のお金のことは全然わからなかった
同じように学校も辞めさせられた。
流石にこれは抗議したが「お前の母親の葬儀代誰が立て替えてやったと思ってる。その上まだたかるのか?恩知らずにも程がある」そう言われたら何も言い返せなかった
私は幼かった。母が万が一に備えて保険に加入していてくれたことも、叔父と言えど養子縁組をしてなければ他人同然だと言うことも何も知らなかった
『不幸少女は高校中退という肩書を持って、仕事を探して歩きましたぁーとさ!』
うさぎがシルクハットから雑巾のようなハンカチを出して涙を拭うふりをする。涙の変わりにこんぺいとうが零れてる。
カラフルなこんぺいとうがそこらじゅうに散らばって、うさぎは転んだ
『そ、れ、か、ら!』
「はぁ?スーパーのレジ打ち?」
私が叔父の家にきて一月経たないくらいの時。高校中退でも出来るバイトをやっと見つけてきた時のことだ
既に叔父に対して恐怖心が浮かんでいる
はぁ、と大きなため息をつかれるとそれだけで肩が震えた
「お前さぁ馬鹿?何だよレジ打ちって。それせいぜい家賃しか稼げないだろ。葬儀代は?生活費は?全部おれに集るつもりかよ」
「で、でも」
「でもじゃねーよ!」
突然強い口調になり少女は、私はポロリと涙を流す。そう、この時既に叔父は私の有効活用法を決めていたんだろう。
『か・ら・の!』
シルクハットから向日葵が生えてきた。あっという間に人の背丈になるとみるみるうちに枯れていく。種が黒い雨のように降ってきた。
「やめっ・・・!」
「うっせえなぁ。これでもくわえてろ、よ!」
「んぐぅ・・・っ!」
黒い雨のその向こう。
無かったことになんて出来ないのに。それでも私は耳を塞いで目を閉じてしまう。
酒の匂いに混じる絶対に消えない精液の匂い。
心臓は早い。少女は悲鳴を上げてまた、殴られる。
叔父がさも愉快だと笑っている
『まさにナイトメア!』
うさぎがそう叫んだ
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