「最近あのお客さん来なくなったね」

コビーの言葉には笑った

「きっと私のことからかってただけなんだよ」

あの手の輩は他にも沢山声をかけててカノジョが出来たに違いない

あぁ、清々した。は安堵のため息を吐いた





鉄格子越しに甘噛み






ここ数日ちょっと機嫌が良い私

なんでか先輩もあんまり無駄話してこなくなってストーカーも消えた

慣れない携帯もなんとかメールが出来るようになった

『今日何時に終わるんだ』

「・・・言いたくない」

『言わないなら今から行って拉致るぞ』

横暴にも程がある

電話の向こうからカツカツと規則正しい音がする。苛立ってる時にローがするクセで指先かペンで机を叩いてるに違いない

「・・・6時」

『じゃあお前の方が早いな。こっちまで来れるか?』

「まぁたまには・・・」

いつも迎えきて貰ってるんだから

「着いたら連絡する」

そう言って電話を切ったのが2時間と少し前

ローの勤めている病院は日本でも屈指の名医が揃う大学病院。

(そんな所にロー、ペンギン、シャチの3人とも働いてるんだから凄いよね・・・)

うんと見上げてしまう建物を前にはひっそりとため息をついた

素直に凄いとも場違いだなぁ、とも思う

たまには、と言いながら来たが決して自分から近寄りたくはない。そもそも病院が嫌いだ

・・・嗅覚の記憶は視覚より残るものらしい。だから病院の独特の匂いは母が死んだ時を思い出させる

(とりあえずローに連絡して・・・)

しかし、出ない

急患でも入ったのかもしれない。はしばらくそのまま待つことにした

・・・病院を行き交う人達はどんな気持ちなんだろう

きっと色んな感情があると思う

治療で通ってる人、お見舞いに来てる人、たらい回しにあってる人、付き添いの人。中にはロー目当てで通ってる人、なんていうのもいるかも

逆に此処で働いてる人達はどんな気持ちなんだろう

人の生死と向き合う仕事だ

私には到底無理だ

死と向き合って、それでも壊れない心が

「!」

「・・・ペンギン?」

「お前なんでこんな所にいるんだ・・・!」

ぐいっと引っ張られた手はあったかい

いや、私の手が冷たいのか。太陽が沈むと途端に気温が下がる。こんな時間外にいるつもりはなかったのでいつものように薄着してたのが仇になった

人の手をとりぐいぐい歩き出したペンギンに転ばないようにと付いて歩く

「キャプテンと待ち合わせしてたんだろう?せめて中に入って待たないか?」

「・・・病院嫌い」

ぽつりと零れた本音に一瞬ペンギンが動きを止める。しかしまたすぐに歩きだした

「嫌なのは承知で頼む。風邪をひいて欲しくないんだ。中に入っててくれ」

・・・ペンギンは狡い。そんな言い方されたら文句なんて出てこないに決まってる。ドアを2度潜ればやっぱり嫌いな匂いがした

しかしいまさら駄々をこねるつもりもない。引っ張られるままロビーと思われる場所に連れて行かれた

「何飲む?」

「え、良いよ」

「もう金入れたんだ」

・・・えぇい紳士すぎる男め

「じゃあミルクティ」

与えられた缶を両手で握るとじわじわ暖かさが移る

ようやく小さく息をついた

「キャプテンに繋がらないならおれかシャチを呼び出せば良いじゃないか」

「あのね、どこのアッシーだ。それ」

仕事中と分かってて、しかもローが来るまでとかどんだけ都合が良いんだ

「子供じゃないんだから」

「子供じゃないから心配なんだ」

「・・・」

降参です。

くしゃりと頭を撫でられてむっつりと黙り込んだ

「キャプテンはもうしばらくかかるから此処で待っててくれ。誰かに何か言われたらおれの名前を出せば良い」

「・・・ん」

去り際に自分が着ていた白衣を自然な仕種で渡して行った

どこまで面倒見の良い男なんだペンギンは

病院の匂いが染み付いててちょっと嫌だけど暖かさには変えられない。大人しく袖を通した

(・・・でっかい)

指先を無理矢理出して缶を持ち直した

ペンギンの後ろ姿が見送るとそこは急に静かになった

きっと面会時間は過ぎているのだろう

本来なら私も居てはいけないけどペンギンのおかげで居られる

溶けない不純物のようだと一人笑ってしまった

***

『何処にいる』

威圧的な物言いに呆れてしまう。悪いのはどっちだ

「仕事終わったの?」

『ああ。で何処だ』

待ってる間におしゃべりする知り合いが出来た。だけどそれはローに内緒だ

「ローの車のとこに行くから」

まだ何か言いたげなのを無視して電話を切った

「帰るのかい?」

「はい。お菓子ごちそうさまでした」

「ヒヒッまたおいで」

一礼して部屋を出る。名前は聞かなかったけど連れ込まれた部屋の豪華さから偉い人なんだろうなと分かる。

多分ローよりも。

やや駆け足になりながら病院を出ると辺りはもう真っ暗だった。

「何処にいたんだ」

車に寄り掛かり、厭味なほど長い足を組む姿は何というか・・・威圧的だ

「寒くないところ」

頑なに言わない事にローの機嫌は絶賛下降中である

素知らぬふりをして車に乗り込みシートベルトを、と手を伸ばした途端引っ張られた

「脱げ」

・・・時と場合によっては悲鳴すら上げかねない台詞だ

も思わず拳を握ったがローが掴んでいる物を見て手が止まった

「・・・」

「脱げ」

「・・・ペンギンが貸してくれたの」

苛々したように勝手に脱がしにかかったロー。誰かに見られてたらどうするつもりなんだ

「洗って返すつもりだったんだけど」

「必要ない。明日おれが渡してやる」

そう言って後部座席に放り投げる姿にため息しか出て来なかった

***

あれだけ騒動して、連れて来られたのは古民家を改装したようなレストランだった

確かに高級イタリアンを食べたいとは思わなかったが家庭料理が食べたいなら早く帰るべきじゃないのか

ローには彼女がいるんだから

そう呟けばニヤリとあくどい顔で笑われた

不意に腕が伸びてきての頬を、鎖骨に小指を這わせるようにして撫でる

「お前のほうが大事だ」

顔が赤いのは決してローに惚れた腫れたじゃなくて鎖骨が弱いんだよチクショウ!

「なっ、に」

本当は言ってるの、と続けたかった

「ロー!!」

響くヒールの音と悲鳴のような声にの身体は固まった

嫌な予感がしたからだ。というか嫌な予感しかしない

「その女誰よ・・・!」

「お前には関係ないだろ」

「関係ないって・・・私は貴方の恋人でしょ!?今日だって私の誘い断っておいて他の女と会うなんて・・・!」

全くだ。誰かこの男に天罰をと心の中で祈った

こういう時口を挟まないほうが賢明だ。だってローと彼女さんの問題だし、はっきり言ってロクなことない。弁解しても。

「何考えてるかわからない、もう付き合ってられないと言ったのはお前だろう」

「それはっ・・・!」

「別れた相手に行動を制限される筋合いはない」

よく言う。付き合ってたってローの行動を制限することが出来やしないのだ

ちらりと視線を上げれば目許を赤くした女の人

・・・綺麗な人

こんな男に捕まらなければきっときっと幸せになれただろうに。人生損してる

私は人形です。空気です。どうか見ないで下さい。

巻き添えくらっても他人のふり。

我ながら図太い。

しばらくして話が着いたらしい。

遠ざかるヒールの音に肩の力が抜けた

そして目の前に悠然と座る男を睨む

「・・・泣いてましたけど。あの人」

「ヒステリックな女だったからな」

良い迷惑だ、と続けるローに何故自分は悪くないと思うんですか?と言いたくなった

「こうなるって判ってて私を誘ったんでしょ」

次々と運ばれてくる料理は見事に私の好物ばかり

「元々終わりそうだったんだ。」

・・・ローは彼女さんと長続きしない

付き合ってる相手のことをあんまり詳しく聞いたりもしないけどしょっちゅうシャチが愚痴を言ってるから

でもって彼女が居ようとも私を平気で家に招くしうちにも来る。

喧嘩の一端を私が担ってるということは認めない、よ?

「」

「ん?」

筑前煮をつついていた手を止めるとローがやたら真剣な顔をしていた

「さっき言った言葉は嘘じゃねぇよ」

「?」

「・・・彼女や恋人つーのはただの記号だ。別れたらそれでおしまい。だけどお前は違う」

「・・・」

「優先順位があるんだよ」

「それは私に何よりローを1番に考えろって言ってる?」

ふっとローが笑う

「それも良いな」

ちっとも良くない。

返事をしないでまた筑前煮を頬張る。

ローはズルイ

父が亡くなって、母も亡くなって、独りぼっちになった私

この世界にローより大事な人はいない

私とローはお互いに歪んだ依存をしている。

歪んだ幼なじみなのだ