柩で眠らない少年

命日っていうのはなかなか面白い漢字だと思う。何故なら「いのちのひ」と書くから。
命を断った日だというのになんで「亡日」じゃなくて「命の日」と書くんだろう。全くを持って可笑しな話だ。
と、僕がそんなことを思ったのは今現在、目の前に自分の遺影があるからだ。
つまり。今日が僕にとっての「命日」なのだ。

何で死んだのか、そう聞かれるとちょっと答えにくい。
何で死んだのか、それが死んだ方法を尋ねるものなら答えることも出来るけど・・・・・・。
白々しい笑顔の黒白写真を見てるのも飽きたのでそろそろ外に出ることにする。
立ち上がると視界の端に泣いてる両親の姿があった。
母さんはハンカチで顔全体を覆い隠すようにして父さんは拳を震えさせながら声を堪えて泣いていた。
「何も泣くことないのに」
自分たちが傷ついたわけじゃないんだし。
聞こえないと分かっててもそう思わず呟いてしまった。
今の言葉を薄情、と思う人は大勢いるだろう。
だけど僕にはそれが理解できない。
死んだのは僕だ。両親じゃない。
何で両親が泣く必要があるんだろう、と不思議に感じるのは実に当然の事じゃないんだろうか。
そのまま、振り返らずに壁を突っ切って屋根に登った。
屋根から見える景色は昨日と変わることはなかった。
世界は巨大な機械仕掛けで人は歯車だと言ったのは誰だっただろうか。
実際は僕一人が死んだところで何一つ変わることはない。
人は歯車なんて上等なもんじゃない、と身をもって証明したことになる。
ビュッと一瞬強い風が吹いて思わず目を瞑る。
(ゴミが入ったりすることは無いって分かってるのに。やっぱり習慣?)
さて、まずは僕が死んだ経緯について話そう。分かっててもらいたいのはまず僕自身、僕が死んだことについてはうまく理解が出来ていない。それは理解していてほしい。
だけど誤解してほしくないのは僕は決して誰かに殺されたわけでも事故に遭ったわけでもない。それだけははっきり言える。何故なら 僕を殺したのは僕自身だからだ。
まぁ。簡単に言うならば僕は自殺をしたわけだ。
「自殺」だとはっきり言えるのに死んだ経緯についてうまく話せないのは何故死のうと思ったのか、という部分について思い当たる事がないからだ。
だいたいそれを言ったらみんな何故生きているんだ?
この狭い街に犇めきあって蠢いている。
きっとこの質問に誰も答えられはしないんだろう。だから僕も僕自身を殺そうと思った訳なんて答えられない。
それでもなお理由を問う人がいるんなら・・・・・・そうだなぁ。
仮説でよければ立ててみよう。
それじゃあまず今日までの僕の人生について。
(人生っていう字は何せ人が生きると書くからね)
僕は小さい頃から他人と違う思考を持っていた。
それをどっちが可笑しい、というのは言わない。
ただ多数決をとるならば僕の思考を理解してくれる人は少なかった、とだけ言っておこうかな。
そんな思考回路の違いに気付いたのは小学生の時。
クラスメイトと一緒に話していて
一緒に行動をしていて
どうしようもない違和感をいつも感じていた。
僕は皆が『普通』と思っていることをどうしても普通と思えなかったんだ。
例えば僕は劇というものが不思議でしょうがなかった。
だって人というのは常に何かを演じて生きているものなのになぜわざわざ『偽物』を創りたがるんだろう。
と、クラスで演劇をすることになった時、担任の先生に言ってみた。
(この時は小学生らしくもっとソフトな口調だったと記憶している)
が、先生はそれを僕がただ演劇に出たくないと思ったらしくわざわざ家まで押しかけて両親の前で僕の説得にかかった。
この時、僕は思っていることを簡単に口にしちゃいけないんだと嫌でも教え込まれたことになる。

いつの間にか長い間思考に更けっていたようだ。明るい青空は面積が小さくなっている。
空が暗くなっていくのとは反対に地上はだんだん明るくなっていく。
造られた欺瞞の星が灯されていく。

・・・・・・あぁ、そうか。世界は粘土に似ているんだ。
この世界を統べる唯一の存在あってそれが僕らを創り上げた。
粘土のような世界。
人間も全てが粘土細工で役割を終えればそのまま世界の一部と化してしまう。
奇妙に蠢いて形を変えて。
必死で生きていこうとしている。
我ながら何て可愛らしい考えなんだろう。
思わず笑いがこみ上げる。

さて、今紹介したのは僕の思考回路のほんの一部に過ぎない。
これで僕を精神的異常者だと判断するのも共感を持って貰うのもそれはその人の自由だと思ってる。
だけどこれだけは言わせてもらいたい。
現在精神的異常者と見なされている人間はどういう基準でそう見なされてきたのだろう?
僕が思うに、それはただそういった思考を持った人間が少数だったことが選ばれた原因なのだ。
今の世界は異端をはじき出すのが大好きのようだからね。

・・・・・・もしかしたらそんな世界に嫌気がさしたのかもしれない。

これが僕が自殺した仮説の一つだ。
だけどこれはまだ思考途中の仮説に過ぎないからこれから変わっていくことがあると思う。
何せこれから思考に費やする時間は充分にありそうだからね。
それは何故かというとこの体(一般的に言うならば幽霊)は食欲というものも眠欲というものも感じないらしい。
性欲については現時点では不明。とりあえず三大欲求のうち、2つは確実に失われている。
ということは食べる時間も寝る時間も全て思考に費やすことが出来るというわけだ。

死んですぐは死んだ場所に留まっていた。
空っぽになった僕(つまり死体)が発見されてからはずっとその傍にいた。
僕が死んでもうどれくらいの日にちが経ったのか確かめるまではないけど初七日は過ぎている。
だけど未だにお迎えとやらも死神も天使も僕の前には現れない。
どうやら僕は本当に思考に費やすには充分な時間を手に入れたらしい。

空はだんだん朱に浸食されてきたその端ではまた黒が浸食してきた。
3色の奇妙なグラデーションは世界の過去・現在・未来を表しているかのように見えた。

あ。言い忘れてたけど僕は決して人間に愛想が尽きたわけじゃない。
両親に対してもだ。決して嫌いではないんだよ。
なぜなら僕は自分を含めて人間という存在に大変興味がある。

つまり大好きって事。

学生の時書いた話。何年前だ?