今日は厄日に違いない

奮発して買った大好きなブランドの鞄も今は鉛入りのように重い

サービス残業ってなんて陳腐な言葉だろう

(・・・やっぱり仕事向いてないのかなぁ)

3年目になると辞めるのもためらいを覚える

何となく続けてやめられなくなってしまったというのが酷くしっくりと来るのだ

ヒュウ、耳元を過ぎる風はもう冬の匂いがする

「マフラー出して正解だったな・・・」

少し早いかなって思ったけど・・・一段と強い風に思わず足を止め顔をマフラーに埋めた

早く帰ってあったかい飲み物作ろう

「動かないで」

可笑しい。私今真っすぐ歩道を歩いていた、はず

少なくともこんな・・・木に顔を押し付けたりしてなかった

「聞きたいことがあるんだ。答えてくれれば手荒なことはしない」

「は、」

子供の声・・・?

最悪すぎる。親父狩りってやつですか?いや私一応女だけど・・・じゃあカツアゲ?

聞きたいことが財布のありかなら躊躇わず財布を差し出しても良い

何せ私の背中には今チクリと・・・明らかに刃物が・・・痛いの、です

「・・・な、何が」

知りたいの、と情けないことに声が震える

「薬草を探してるんだ」

は?

頭に浮かんだのはRPG風のちゃちな音楽

ピロリロリーン

『薬草を手に入れた』

い、いやいや聞き違いだろ。や・・・薬味とか!

ここで必要なのがわさびなのか甚だ疑問だ

木に顔を押し付けられたまま固まっていると背中の圧力が増した

「ねえ、俺様急いでるんだよ」

私だって急いで帰りたいよ!

「や、薬・・・草・・・?」

「そう。解熱用の薬草」

市販の薬じゃ駄目なんだろうか。普通の鎮痛剤なら今、鞄にだって入ってる

「あ、あの。薬草じゃなきゃ駄目なの?」

「っ他に何があるって言うんだよ!!」

「いっ・・・!」

「早くしないと弁丸様がっ・・・!!」

「だっ、薬草なんて知らないっ!市販薬で良いでしょう!?」

渾身の力で上半身を捻る。背中が引き攣るように痛いがとにかく我慢した

本当に子供だった。やたら派手な髪色をしている

交わった視線は何故か泣きそうで泣きたいのはこっちだと言いたくなる

「解熱剤が必要なの?」

「・・・」

「私の鞄に入ってるから。ただの鎮痛剤で大人用だけど15歳未満なら半分にして飲めば・・・眠くならないやつだけど良い?」

「・・・」

ねぇ、何とか言ってよ・・・

「・・・ねぇ、」

「しはんやく、って何」

「うん?」

少年の声が突然弱々しいものになった

背中の圧力はまだ消えないけど

「アンタ達の言ってること全然わかんない。何だよしはんやく、って。空気は淀んで地面はやたら固い。空は遠くて・・・っ」

小さく聞こえた「カイに帰りたい・・・」にこの少年、もしや迷子?

しかし、その前の言葉はさっぱりわからない。何処の田舎から出てきたんだって言うようなコメントだった

常識とはその人が培った偏見した知識を言うらしい。つまり私とこの少年の会話が噛み合わないのは培ってきた知識が全く違うのだ。言葉が通じるのがせめてもの救いだな、と何処か冷静な頭で思った

窓口で理不尽な物言いも噛み合わない会話も上級者コースまで経験済み

熱くなってはいけない。これは何よりも有効な対処法だ

「話を整理しよう。君は私から薬草が欲しい。薬草、つまり熱を下げるための薬。間違いない?」

「・・・」

無視。正しくは胡散臭い目で見られた。まぁこれは想定内だ

「意志の疎通は大事だよ。君が分からないって言ったことを答えたいから。市販薬、が知りたいんだよね?」

今度は僅かに首が動いた。よし

「市販薬はどこにでも売ってる一般的な薬。大量生産されてて安価。それで良ければ今、すぐ出せる」

「・・・俺が飲むんじゃない」

「うん?誰が飲むの。年齢によって量が変わるよ」

「・・・」

まただんまりか。どうやら言いたくないらしい

沈黙、少年は何か考えているようだ。言うか言うか悩んでるのか。

ちょっとだけ視線を下げてギョッとした

「ちょっと何て格好してるの!?」

少年は見てるだけで風邪を引きそうなくらい薄着だった

それも妙な服で着物みたいなのの袖無しに剥き出しの足は靴下もスニーカーもなく、まさかの草履。今日は秋口とはいえ今年一番の冷え込みだと言うのに!

慌ててマフラーを外し少年に被せる

思いっきり手を叩かれた

「触るなっ!」

「痛った・・・ちょっと君!これ巻いてて!見てるこっちが寒いんだよ!!」

嫌がるのを無理矢理首に巻き付ける

赤のタータンチェックが嫌とか言わないでよね!

「今夜はまだ寒くなるんだからあったかい格好しなきゃ駄目だよ」

「・・・弁丸様が・・・」

「べんまるさま?」

ニューワード。べんまるさまとやらがどうした

「・・・薬・・・が必要なのは俺じゃない。・・・御年7歳になる・・・御人・・・」

(七歳!?)

突然登場した子供に更に驚く。叫びそうになってしまった

一体親は何してるんだ。かつあげで生活しようとはとんだ弱肉強食精神だな!

いやしかし、声には出すまい

「7歳なら小児用の薬の方が良いと思うけど・・・買ってこようか?君おうちどこ?」

我ながら何をやってるんだ。しかし、薬を買ってそれで済むなら良いかなぁと思えてしまったのだ

きっと少年と弟?君は複雑な家庭で両親が滅多に家に帰らず体調悪くても薬を調達できない。うん、そういうことにしておこう

もう一度目を合わせゆっくりと話しかける

敵意はないですよ、という意思表示だ

「薬買ってくるよ。べんまるさまと一緒に待ってて?お家に持って行くから」

だからお家教えて?

少年の表情が変わる。何かを耐えるような・・・

「・・・朱い鳥居に黒い狐がある社・・・」

「え、七ツ森のお社?」

この辺りで黒い狐を奉っているのはそこくらいだ

神主様もいない小さなお社なんだけど・・・

って、え?

「え?」

サービス残業に色々オプションつきすぎだろ

***

(何やってんだろ私・・・)

寒いし鞄は重いし更に増えたビニール袋はガサガサ言って耳障りだし・・・それに何より・・・

足早にポストの前を通り抜けようやく我が家がお目見えた゛

そうして鍵を開けるとは首だけ後ろを向ける

「入って。早く」

少年とその背に負ぶさる子供2人を部屋に招き入れた

まず、自分が犯罪者でない事をここに記す

むしろ被害者だ私。何せかつあげされかかったし

「布団・・・は干してない、少年!べんまるさま此処に寝かせて」

自分のベッドに他人が寝るのが嫌とか言ってる場合じゃない。非常事態なのだから

「冷えピタと・・・薬と・・・いや、まず水ね」

バタバタと狭い部屋を歩き回り、明かりをつけてケトルを沸かして鞄は床に放り投げた

明かりが付いた瞬間少年が目に見えて緊張していたがスルーさせていただきます。わ、悪かったな散らかってて!

「・・・アンタ以外いないの」

「え、一人暮らしだよ。えっと飲むのは食前・・・」

お粥作れば良いか、私も今夜はそれで済ませて・・・あ、少年はそれじゃ足りないか・・・

我ながら普通に受け答えをして挙げ句食住を提供までしていることが不思議だ

しかし、無人のお社で幼い子供達が寝泊まりしてると知ってしまった以上見て見ぬふりはできなかった

何せあの社は本当に古いものだし地域の人達による定期的な清掃だけでかろうじて建ってるような状態なのだから。もちろん食べ物やお風呂、布団なんて備えていない。風通しも絶好調なはずだ。

少年の言うべんまるさまはそんな社の中で高熱で横たわっていた

絶叫したくなった。ありえない。ありえなさすぎる。

薬を飲ませた所でこの衛生状況下良くなるとも思えず我が家に連れ込む羽目になった

ちなみに過程として、病院、少年に拒否された。家へ連絡、少年が無言を貫いた。警察でお世話、少年が刃物で拒絶した。があった。我が家は第4の妥協案だった

薬と水を先に持って行く・・・いや、持って行くほどもなく少年が居た

・・・そんな警戒心バシバシの視線向けなくても良いじゃないか

「少年。これが薬ね」

「・・・何か臭う」

「漢方薬だからね。でもアレルギーの心配とかいらないから。あと水分。冷えピタは・・・半分に切るか」

「かんぽう薬・・・?あれるぎい?」

「・・・変な刺激物が入ってない薬。飲んだことない?」

「・・・」

「とにかくべんまるさまに飲ませてあげて。急いでお粥作るから」

「・・・」

はい、返事がありません

確かに漢方薬って匂い強いから苦手な人は苦手だよねー、しょうがないよねー、と自分に言い聞かせた

もちろん手はお粥を作っている

梅干しは無かったので塩と卵で味付けした

「少年。べんまるさま薬飲んだ?」

出来立てのお粥をそのままテーブルへ運ぶ。

「・・・アンタがまず飲んで」

「は?」

何の冗談かと思ったら少年は真顔だった

これはアレか。時代劇さながらの毒味ってやつか

無言で薬を一口含み水で流し込んだ

「・・・」

「・・・」

「・・・もし弁丸様に異変があったら俺様がアンタを殺す」

正直スクリューパンチを喰らわせたいくらいイラッとしたが頷いておいた

少年の目はマジで警戒心バシバシで、べんまるさまが心配で堪らないのだ。どういう訳か家に帰れず野宿までして心身共に疲れきってるに違いない。

大人として寛容になるべきだ。私は薬にしろお粥にしろ毒なんて盛ってないし何も後ろめたいことがないのだから

「弁丸様・・・弁丸様・・・起きられますか?」

少年がべんまるさまを支えゆっくりと「・・・佐助」あ、起きた

薬を飲ませるのを見届けて今度はお粥を差し出した。私が食べさせても良いけど少年は私がべんまるさまに近付くのを酷く嫌がるのだ

「・・・これ」

「食欲無くても少しは食べさせてあげて。・・・あぁ、ただのお粥だからご心配なく」

そう言ってこれも先に食べてみせる。地味に熱かった

少年ごしだがべんまるさまは食欲はあるようでハフハフ言いながらお粥を食べてくれた。よかった

食べ終わった頃を見計らって次に冷えピタを渡す。

「オデコに貼ってあげて。熱を吸収する作用があるから」

あぁ、それから。と立ち上がりクローゼットからトレーナーを1枚引っ張り出す。それからタオルも一枚

「べんまるさま汗拭いてあげて。着替えはこれね」

「・・・変な着物」

その発言だけ聞くと私の趣味が可笑しいようだ。一応言っておくが黒地に英語がプリントされた至ってシンプルなデザインだ

子供服なんてうちには置いてないので我慢してもらいたい

何とか着替えも終えべんまるさまはモソモソとまたベッドに横たわる

お腹もいっぱいで汗も拭いて更にあったかい布団。直ぐに寝息が聞こえてきた

あからさまに安心したような少年の横顔に内心私も安心した。

「ねえ」

「こんなので悪いけど君も食べなよ。」

私が声をかけると少年は一気にピリピリした空気に戻る。しかし、少しだけ困惑もしているようだ

その証拠に目が私とお粥を忙しそうに見てる

「あのさ、君まで倒れたらどうするの?毒なんて入ってないからさっさと食べなさいよ」

後片付けが進まないから。と続ければようやくお椀に手を伸ばした

「・・・これ卵?」

「うん。嫌い?」

嫌いでも食べてくれ、と言おうと思ったが凄い勢いで首を横に振ってくれた

「・・・なんで俺にまでこんな・・・」

ボソボソ喋りだしたが言ってる意味がよく分からない。急に弱気になられると困るんですが・・・

「大したことは出来ないけどご飯くらい作れるよ。」

それが少年の知りたいことだったかは分からないがそれっきり黙ってしまったので私も何も言わなかった

そんな木曜日の夜