「つかぬことお伺いしますがローは貴方の家に行ったんですか?」
『ええ』
「最寄り駅は?」
一応弁解させて下さい。ストーカーではありません
嫌がらせ等するつもりもありません。何なら念書書いても良いです
ただ知りたいだけ。貴女の家が病院からどれだけ近いのか
つまり。つまりだ
ローは家に帰らず家より遠いこの女の人の家に行ったということで
・・・私の待つ自分の家よりもそこに帰ったということで
気付かないふりはもう出来ない
これを厄介者と言わず何と呼ぼう
さあ、一刻も早く出ていかなければ。
疵を分け合って、血を舐め合って
そう決めたらの行動は早かった
「私が通院を辞めたら病院に迷惑がかかりますか?」
ある時は話し相手、またある時は幼なじみの上司
そうして今日はこの病院で一番偉い人だった
「穏やかな話じゃないね。ローはこの事を知ってるのかい?」
突然訪ねてきた私をさも旧友のように招き入れてくれたがあっという間に厳しい表情をさせてしまった。若さの秘訣とか聞けたら良かったけどとにかく私には時間がなかった
ただ、ただ、急かされるように進む道を固めていく。少しでも立ち止まってしまうと足元が崩れてしまうとでも言うように
「お察しの通りローに知られたくないので貴方に訊きに来ました」
「そうかい」
「・・・今まで散々迷惑をおかけしておいて、本当に申し訳なく思っています。その上でお願いします。トラファルガー先生には言わないでください」
頭を下げるだけならいくらでもできる。他にできることがないのだから
「通院しないでどうするつもりだい?」
「・・・仕事を探します。出来るだけ早く。きちんと自分の力で生活できるようにします」
今までが甘えすぎていた。私はローに依存しすぎていた
それを元に戻すだけ
「通院しながらは駄目なのかい?」
それはもっともな質問だった
「出来るだけ遠くに行きたいんです」
世界がぼやけてしまうくらい遠いところへ行きたい。ローが届かない場所へ
・・・否、ローと手を取り合えない場所へ
「決意は固そうだね」
ふぅ、大きなため息を吐かれた
くれは先生は何かを探すように空を仰ぐ。勿論そこに空はなく高く積み上げられた本棚が見えただけだった
「・・・はクジラは好きかい?」
「え?」
「私の古い友人でね、まぁ医者の端くれなんだが・・・ちょっと辺鄙な海辺に住んでいるんだ。
そこで何を思ったか人間だけじゃなくて怪我をしたクジラまで世話してるっていうんだから笑っちまう。腕は良いんだが自分の事はとんと無頓着でね。
診療所がゴミ屋敷になってるんじゃないかと心配なんだ。
アンタちょっとそこで手伝いしてやってくれないかい」
「・・・え?」
「人なりもちょいと変わってるが悪い奴じゃない。アレの所にいるなら私も通院したくないなんていう言葉を聞き流せるってもんさ」
さらさらと走り書きされた住所は観光地としては有名だが良く言えば長閑。悪く言えば辺鄙。の理想通りと言って良い場所だ。
他になんて言えただろう
「是非お願いします」
一も二もなくは頭を下げた
私はとても恵まれている
呪文のようにそう唱える
困っている時に誰かが手を差し伸べてくれて決して独りにはならない
例えば前世で人柱になって国でも救ったのかしら
ついそんな事を考えてしまう
ローとの生活は何も変わらない
相変わらずマチマチな時間に帰ってきて話して私の心を満たしていく
ローが与えてくれた私の居場所
「行ってくる。何かあったら必ず連絡しろ。体調管理はちゃんとしろ。無理はするな」
すべてこちらの台詞だ、と笑いたくなった。大真面目に言うものだから
「ローこそ。私の何倍も大変なんだから無理しちゃ駄目だよ。いってらっしゃい」
いつも通りの朝だった。リビングとローが貸してくれた書斎を出来る限り丁寧に掃除をする。自分の荷物は意外と少ない
ローが買ってくれたものはなるべく置いていこう。ゆくゆくは彼女さん・・・もしかしたら奥さんかもしれない、そんな人たちが使ったら良い
あ、でも他の女が使ったものって普通嫌がるかな、もったいないけど捨てちゃうかな・・・それはちょっぴり寂しい
与えられるだけで私は何も返すことができなかった。すぐには無理だけど何年かかるか分からないけど仕事が落ち着いたらちゃんとお礼を言いたいな
洗濯機を回す。ローが帰ってきたときに少しでも居心地がいいように。冷蔵庫は日持ちするものだけタッパーに詰めた。ラベリングして食べ方もメモしておく
細々とした作業を終えたらたっぷりと半日過ぎてしまった
今から交通機関を乗り継いできっと到着するのは夜だろう。院長先生が連絡を取ってくれたクロッカス先生は好きな時に来てくれて構わない、と往々にして懐の深い人物のようだった
・・・本当に私は恵まれている
これから私は変われるだろうか。人から与えられるばかりで迷惑をかけるばかりでまるで疫病神のようだった
対等に、とまでいかなくても私という存在が誰かの心をほんの少し満たせるようになりたい
今日はその為の第一歩だ
そうして荷物を詰め込んだボストンバックを持ち上げた瞬間、電子音が響いたので驚いた。着信はナミ
『?アンタ今日病院?』―んんっ違うよ?
『じゃあ家?ちょっと近くまで来てるのよ。せっかくだからお茶でもしない? ちょっとゾロ!そっちは今来た道よ!!』―ゾロと一緒なの?
『荷物持ちよ。借りはちゃあんと返してもらわないとね。で、どう?』―ローの家に勝手に人を招くのはちょっと
『心配いらないわ。私が何の考えなしに言うと思う?』―後で怒られないやつ?
『私を誰だと思ってるの?』
・・・天下のナミ様です。完敗である。ボストンバックは部屋に隠しておこう
此処を出ることを言うつもりはないけどいつか笑って話せると良い
「ん。分かった。待ってるね」
何かお茶請けになるものあったかな。通話を切ってキッチンに向かう。否、向かおうとした
「その荷物は何だ」
ローがそこに立っていた
朝、いつものように出て行ったはずのローがそこに居た
私の荷物を一瞥するとそのまま書斎へ向かう。勢い良くドアを開けたかと思うと部屋の中を一瞥してそうしてまた目の前に戻ってきた
「写真が無くなってるな。服も。おれが買ったものは全部置いていくつもりだったのか」
まるで氷のような瞳で射抜かれてひくり、と喉が攣る
「・・・何してたんだ?」
声は何かを抑えるような、絞り出すような声だった。否それは『怒り』 それに飲み込まれてしまわないように急いで笑みを張り付けた
「おかえりなさい。珍しいね、こんなに早いなんて。
ごめんお風呂沸いてないんだ。でもご飯だったら急いで「何してんだ、って言ってんだ」
・・・最初から誤魔化すなんて無理だったのかもしれない。もう諦めてしまった
すぅ、と一つ息を吸う
「引っ越すの。その準備」
「いつまでも甘えててごめんなさい」
ダァン!!
今までこんな時間に帰ってきたことはなかった。朝出て行ったら早くて夜、遅ければ数日かかる。そんな生活だったのに。何故よりによって今日に限って
やっとの思いで口にした言葉は大きな音に遮られた
ローが壁を殴った音だった。まるで見えない糸を張り巡らされたように身体が動かない
「いつ、だれがそんなの許可した」
「おれの目の届かないところに行ってどうするつもりなんだ」
「ふざけるな」
「絶対に許さない」
訥々、と零れる言葉はまるで毒花のように心に絡みつく。そうして芽吹くのだ『悲しい』『悲しい』と
自分で決めた。決めたはずなのに涙が止まらなかった
「・・・わたしはっ
ローと対等でいたかった」
与えられるだけじゃなくて、奪うだけじゃなくて、が居て助かった、って言ってもらえたらそれでよかった
一度途切れてしまった縁を結んでくれたロー。みんな探してくれたって言ってた
ナミもペンギンもシャチも大事な友達だけどその中でもローは特別だった。全て失くしたと思った私にただ一つ残された幼馴染という存在を
与えてくれたのはローだ
それが出来ない
ずっとわかっていたことだった。
「ローと居ると私は惨めになる・・・!」
それは気づかないふりをしていた私の本心
ローは有名病院の期待のエース。それに比べて私は正社員にもなれないフリーター
当たり前のような顔をして横に立って一体何様のつもりだったのだろう。ボロボロと涙を零し始めた私にローの方が痛みを堪えるような顔をした。どうして、貴方がそんな顔をするの
「どうしろって言うんだよ」
「手放して・・・」
「ふざけるな」
「でなきゃ何も変わらない!じゃあ一緒に背負って言うの?!孤児で身寄りがない私を?影みたいに付き纏う叔父の存在を?これから裁判だって有り得るのに?そんなことを・・・っ!」
疫病神じゃないか。そんなの
頬を伝う涙が落下してフローリングの床に散った
「上等だ。背負ってやるよ」
「は」
「が抱えてる全てを俺が一生」
頭に血が上るとはこういう時に使うんだろう。ほんの一部だけ冷静な頭でローは思ったが言葉は止まらなかった。
そうだ最初からそうすれば良かったんだ。
「ただしお前もだ。頭からつま先まで全て。俺に寄越せ。
本当は外に出したくないし他の人間にだって会わせたくねぇ。その目が見てる全てもこの唇が紡ぐ言葉も全部俺だけになれば良い。」
。名前を呼べば涙を溜めた瞳が見上げる
「俺と結婚しろ」
世界が止まったかと思った。間違いなくの呼吸は止まった
言葉も涙も止まった私にローは手を伸ばしてきた
頬を撫でる手に、その温度にようやく頭が動き出す
今目の前の人間はなんて言った?
え、結婚?
は?
誰が誰と
「・・・」
未だ聞いたことがないくらいに甘く名前を呼ばれた。どんどん近づいてくるロー。
唇が、触れた
はむ、ちゅ。そんな音がする。
啄むようにローが、唇を合わせてる。伏し目がち、でも閉じてない。
ちゅっ、そんな音を立てて離れた僅かな距離に酸素が入り込んだ
え、今の何?
ようやく追い付いた私の脳はローに平手打ちをかまして脱兎のことくマンションを飛び出した