ユースタス屋がに一目惚れしていることはもう随分前から知っていた。

そしてはそれ故にユースタス屋に苦手意識を持っている、なんて本人は気づいていないだろう。

に何を言うつもりだったか…まぁ大体検討はつくが余計な事だ。今すぐ帰れ」

「…てめぇは本当に…!」

「いつまでを追いかけてるつもりか知らねぇがいい加減諦めろ。がお前に惚れることなんてない」

「うるせーよ!!そっちこそいつまでを囲ってやがる!」

ハッ。思わずローは笑う。囲うという表現はあまりにも的確すぎた。

「愚問だな」

「ここの病院はイカサマ野郎ばっかだな。医者は横暴ナースは癇癪持ちかよ」

「…あの女がの前に現れることは金輪際無ぇよ」

そう告げるローの声は一層低く、薄ら寒さを感じた。何をしでかしたんだとキッドは少しばかり相手のナースが気の毒になった





柔らかい匣で腐敗する






「退院の日取りが決まったぞ」

「ほんと!?」

そう告げたのはペンギンだった

「ああ。本当だ」

続いてニヤリと笑みを浮かべたのはローだった

そして次の一言で喜びは吹っ飛んだ

「…冗談だよね?」

「退院の条件だ」

「可笑しい…!」

は唯一自由になる左腕をばたつかせ抗議の声を上げる。

退院したあとおれの家で生活してもらう。今、この男はそう言った。

一体那何を考えているんだろう。そして何故止めなかったペンギンよ

「この状況でどうしておれ以外を見るんだ」

無理矢理首を引っ張られローはやたら至近距離にいた

「ローの見解に不満があるの」

「何が不満なんだ」

「何で不満がないと思うんですか」

思わず敬語になってしまう。この男は患者を自宅で養うボランティアでもしてるのか。いっそ不気味だ

「お前分かってないだろ。退院しても通院は必須なんだぞ」

「家からでも通えるじゃん」

「松葉杖ついてバス乗り継いでか?」

「…出来なくはない」

ローが鼻で笑いイラッとする

「じゃあもう一つ。そもそもあのアパートは既に解約済みだ」

「…は?」

頭が真っ白になった

「あの大家は恐ろしく慈愛に溢れているな。が退院したら自分に出来る限りのことはさせて欲しいだとよ」

任せて!必死にそう言い募るマキノさんの姿が容易に想像できた。そうだあの人はそんな人だ

慈愛に満ちていていつも優しい。



ローの言葉は揺るがない。まるで返事なんて分かってる。そんな声だ

「…マキノさんに挨拶行くの付き合ってくれる?」

「あぁ」

優しい。だけど残酷だ。

私が助けてあげる。なんだってしてあげる。そう思ってるマキノさんは悪くない。

じゃあ悪いのは誰?

***

を自宅に連れて行く?!」

何言ってるんですか、とペンギンとシャチは揃って顔をしかめた。

何故ならこの話は過去に何度も出ている

その度には首を横に振り続けた

『私は一人で平気だから。』

頑なには拒んでいた

同情や哀れみはいらない。私を侮辱しないで。そう心を張り詰めさせていた。

一度目は行方不明になったを見つけた時、二度目はローの勤務地が決まった時、その後はいちいち覚えていない。

『おれの所に来い』

は困ったように笑う

『ローは過保護すぎるよ。私は平気だから』

…どこが平気だ馬鹿

は絶対に『うん』とは言わないでしょ」

しかしローは悠然と笑ってみせた

「いや。今回は絶対に断らないな」

シャチとペンギンは顔を見合わせる

「そりゃまたどうして?」
「大家の女に罪悪感を抱えてるからだ」

「あぁ…」

「成る程」

が嫌いなもの。同情、返せない恩恵。

「大家が自分を心配して世話を焼くことがいたたまれないに決まってる」

二人は同意せざるを得ない。

は他者に無関心に見えるがその実誰よりも気を配っている。無礼にならない程度に距離を置き、決して自分からは近付かない。

「ただでさえ食事の量が減ってんだ。医者として見過ごす訳にも行かねぇな」

それはただの建前だろ、とペンギンはこっそり心の中でつっこんだ。

単に自分の傍に居てほしいだけなのだ、ローは。


…そうしてはローの思惑通り、ローの家で養生することを了承した

***

「荷物はこれで全部だろ」

「…うん。誰が荷造りしたのかは聞かないでおく」

しかも明らかに新しい家具、ソファベッド増やしてる…!

「フローリングに布団は床が傷むんだよ」

そう言われると何も反論できない

寝室とは別にあるローの部屋、もとい書斎を間借りすることになり、病院から直行直帰させられた

解約済みというくらいだから諸々の手続きは終わってるんだろうな、とぼんやり思っていたがやり過ぎだ

ローに付き添って貰ってマキノさんに挨拶へ行った

酷く心配そうな顔で「しばらくは部屋空けておくからね」と言うマキノさんに私は笑うことが出来ただろうか

「…心配すんな。挨拶は出来ていた」

…つまり笑えてはなかったんだな、と分かる

「ロー」

「出来る範囲で家事は任せるからな。それからナミ達に連絡するのは勝手だがあいつらを此処に招き入れるのだけは絶対に止めろ。被害規模が想像もつかねぇ」

「ねぇロー」

「荷解きはゆっくりやれ。時間はあるんだ」

「ローっ!」

あまりにも無視され続け言葉を荒げてしまう。

「さっきからっ…ん!」

しかし文句の言葉は止まってしまう。薄いくせに力があるローの腕に身体ごと絡め取られた

松葉杖がフローリングに転がる音が響く。傷ついてないでしょうね…!?



「な、何…ちょっと足つかな…」

抱きしめられるより抱き上げられるに近い。その2本の腕に支えられるだけでの身体は浮いており、酷く不安定だ

思わず両手をローの肩に回してしまう

そうすれば更に距離が近くなる。深い色の瞳はまるで藍色のセロファンを幾重にも重ねたようだ。密かにお気に入りでもある

「またこうしてお前に触れられることが、おれを見てくれることがどれだけの事か分かるか」

「…っ」

ローは真剣な眼差しを一心に向けている


「お前は何も悪くない」


…きっと

きっとローは私がどんな大罪を犯しても同じ言葉を言ってくれるんじゃないか。まるでそんな錯覚をしてしまいそうだった。

優しく甘い言葉よりもただ赦してくれる

ポロリ、涙が溢れた

見られたくなくて咄嗟にその首すじに顔を埋める

「…うん」

グズグズの声でようやくそれだけ返事をすると耳元に柔らかい吐息がかかる。おれ達の家にようこそ。


ローの家に来るのは初めてじゃない。泊まったことだってある

だけど

此処が私が安心して眠れる場所。

未だ私は貴方から離れることが出来ない